2007年8月6日月曜日

お疲れ様。

2007年8月4日午前6時3分。祖母が旅立った。享年86歳。大正・昭和・平成を生き、その最後の顔はとても綺麗で幸せそうやった。けど人間生きてるといろんな事があるわけで、お婆ちゃんも例外やない。その生き様を聞いた範囲、知ってる範囲で残そうと思う。名を「植浦トマヱ」。生年月日はおかんの記憶が曖昧な為後日記載(おかんがボケてるわけではない)。二十歳で「美智子」という子供を授かり、4年後「良子」を授かる。これがうちのおかんなわけで、その4年後「幸夫」を授かり、さらにその4年後「昇」が産まれる。
そして、「昇」が産まれてすぐに旦那さん、つまりお爺ちゃんが亡くなる。39歳やったらしい。そっから女手一つで4人の子を育て立派に所帯を持たせ、晩年は長男の家で穏やかに過ごしてた。

俺のたくさんの従兄弟の中に「伸治」っていう子がおった。「幸夫」の長男で、母親似のめっちゃ可愛い子やった。けど俺が5歳の時、不慮の事故で帰らん人となった。享年4歳・・・。その時はお婆ちゃんが世話してて、ちょっと目を話した隙に道路に飛び出し・・・。
その事が原因で、叔母と想像もでけんぐらいの確執があったらしい。俺らの前じゃいつも明るいマイペースなお婆ちゃんやったけど、罪の意識っちゅうんか後悔の念をずっと持ってたんやないかな・・・。

けど、叔母とのたくさんの対話や周りの人の仲介があって、確執も徐々に解けていきお婆ちゃんの世話を献身的に見てくれた。ホンマの親子以上に・・・。
お婆ちゃんは兵庫県川西市に住んでたから、大阪の南の方に住んでる俺らは多くて年に数回、まったく会いに行けん年もあったから、うちのおかんも叔父叔母にはいつも感謝してた。87年も生きてるからもっと波乱万丈やったんやろうけど俺の知ってるお婆ちゃんってのは、悲しいけどこんだけ・・・。細かい思い出はもっともっとあるけど、それらは俺の胸にしまいこんどくわ。

8月3日、月末月初めが忙しい俺はやっと病院にお見舞いに行けた。お婆ちゃん直結の親族で最後やったみたい。で、俺らが帰った6時間後、一番苦労を掛けたであろう次男(末っ子)「昇」に看取られ他界。もしかして俺を待っててくれたんかな?と都合良く考えてみる。
それもあったかもせえへんけど、奇しくも8月4日は「伸治」の命日。
たぶんお婆ちゃんはずっと願ってたんやろな。「伸治」と同じ日に・・・って。

今頃は、お爺ちゃんと伸ちゃんと手を繋ぎ合って笑顔で俺らを見守ってくれてんやろなって思うわ。
ゆっくり休んでください・・・。

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